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2022年2月15日付けブログ「3世代住宅は日本を救う!」で、住宅のあるべき姿を我田引水的にお伝えしましたが、今回はお墓のあるべき姿を考えたいと思います。
私の叔母は、私と同じ小田急相模原駅(オダサガ)から徒歩7分(私は徒歩13分)のお家に暮らしています。
なので、時々食事に誘ってくれます。
だいぶ前の話ですが、同叔母は代々引き継いできた柿生霊園(川崎市)のお墓を墓仕舞いして自分の遺骨も含めて合葬式墓所に移そうと話していたことを思い出しました。
前回のブログで現生の家のあるべき姿を考えていたら、私が死んだ時のお墓のあるべき姿も気になったので考えてみました。
少子高齢化がどんどん進んでいく日本では、オダサガの叔母のように墓仕舞いする方が増えて行くのは寂しい気がします。
平均耐用年数30年以下と言われる日本の住宅と違って、お墓は何百年も引き継がれていくものも珍しくないし、本来そうあるべきだと思います。
私は苦しい時こそお墓参りして心の拠り所にしていたので、短命なお墓は寂し過ぎます。
そもそもお墓は、生きている遺族のためにあると思っています。
私が死んだら、魂と肉体は分離?し遺骨に魂は留まらないと思っています。
それに、お墓みたいに寂しい場所に遺骨と一緒に魂が居留まるなんて私は嫌です。
でも、子供達がお墓にお参りする時は、私の魂はその様子を目を細めて見守っているかも...
そして、子供達が亡くなっても孫達やその次代が幾星霜にもわたってお墓参りしてくれると思うだけで、死に対する恐怖心が少しだけ和らぐ気がします。
私は、とりわけ悩みを抱えた時はお墓参りしてきたので、子供達も同じことをするのでしょう。
なので、私が死んだ後は天国から子供達を見守ってあげなくてはと母の墓前で思いを新たにします。
そんな親の様子を傍で見ながら子供達は一緒にお墓参りし、同じような思いが引き継がれるのかもしれません。
なので、私が思うあるべきお墓の姿は、以下の通りです。
1.お墓の維持費が少額(末裔の経済的負担を少なくしたい)
2.お墓には家名は刻まず、血縁でなくても、名前が違っても、一旦親族になったらお墓に入れる(別姓になった末裔も、その配偶者や子供もウェルカム)
3.納骨室(カロート)を最大限大きくし、墓石には「ありがたう❤」等の最小限のメッセージを刻む
4.関西式に骨壺から木綿の袋に移し納骨、古い順に土に帰って行くようにする
5.納骨する時はお墓を管理する親族に許可を取り、同親族は家系図を更新する
6.地震等の自然災害に強くメンテナンスが容易、等々
代々末永くお墓に入れ、
代が途絶えた時は追加料金無しで「なごみ霊廟」で永代供養されるコンセプトも共感!
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